過去のお題
「ひこうき」

菰野町永井に住むおばあちゃんが、こんな話をしてくれたことがありましたのや。「今から70年以上も前のことやが、この竹永に、戦争のための飛行場を作ることになってなぁ。突如として数百人の兵隊さんが現れ、その工事が始まったのやった。秋田県や山形県の、東北なまりの兵隊さんたちが、よおけ働いてござった。そこには1500メートルもの長い滑走路をつくることになってな。今みたいに工事用の機械もないし、たった2台のロードローラーがあっただけで、兵隊さんたちはみんな、スコップによる手作業で毎日毎日、工事の仕事をしてござった。
竹永小学校が兵舎として使われとったんで、小学校には兵隊さんがよおけ泊まっておって、子どもたちは、お寺や会所が教室やったんや。それにあの頃は、食べる物がないんで、運動場は、さつまいも畑にしとったんやけど、お腹空かせた兵隊さんたちは、野うさぎやヘビまでとって食べてござった。
こうして、やっと昭和20年8月に、滑走路はできあがったんやけど、この滑走路ができあがった時に、戦争が終わりになってなぁ。せっかく作った滑走路から、飛行機は一機も飛ぶことがなかってしもたんやった。
飛行機が飛ぶときに命令を出す、戦闘指揮所や防空壕もつくられてなぁ。それは、今のミルクロードより東で、飛行場の見渡せる丘の上に作られとった。その面影は今でも残っておるそうやけどなぁ。」
と、おばあちゃんは話してくれたのでした。
ところが実は、この飛行場は、特攻隊用の特攻機が飛び立つ飛行場やったんやそうです。この飛行場から特攻機が一機も飛ぶ事がなくて、よかったですなぁ。

「井出のお宮の片葉の葦」

永井にある、井出のお宮のあたりには、不思議な葦が生えています。葉が一方しかついていないのです。
むかし、むかし、このあたりは、一面の沼地でした。いつも美しく澄んだ水をたたえており、村の人々の憩いの場所となっていました。
この沼地に、雁の群れが毎年、やってきたそうです。冬をこの地で過ごした雁たちは、春先になると、海を渡って帰っていきます。
しかし、長い旅の途中で力尽きて海に落ちていく者もいたそうです。
ある時、雁たちは、井出のお宮の神様に、お願いをしました。
「帰る途中、疲れたら葦の葉を海に浮かべて羽根を休めたいので、葉を1枚ください」
神様は、「葦の葉を全部とって枯らしていけない。片側の葉だけを持っていきなさい」と許してくれました。
井出のお宮の葦の葉は、この時から片側がないそうです。

「井出神社の片葉の葦」
「竹成の五百羅漢さま」

むかしむかし、竹成のお寺の和尚さまの提案により、五百羅漢像を作ることになりました。
家族を亡くし、ひとりぼっちで暮らしている少年が、「わたしには、亡くなった妹や母や父の姿が、石の中に見える。石仏を彫らせて下さい」と訴え、聞き入れられました。
しかし少年は、父親の形見であるノミを手にとることもなく、来る日も来る日も、石を見つめ数年が経ちました。
ある日、突然ノミを手にし、「多くの人を見守ってくだされ」と言ったかと思うと、一気呵成に石を彫り、次々と3体の石仏を彫りあげました。 その後も「多くの人を見守ってくだされ」と言っては彫り続けました。少年はいつの間にか、年をとっていました。気がつけば五百余りの石仏ができていたのです。
少年が石の中に見た仏は、五百羅漢像として、今も多くの人を見守ってくださっています。

2020年「福王山の天狗さま」

菰野町田口にある福王神社で遊んでいた女の子が、神社の裏山で道に迷ってしまった。
その先で出会った天狗が葉団扇をひと振りすると、女の子は神社の境内に戻っていた、という不思議な体験をした。
それから数年後、村里には疫病が流行り、村は荒れていった。
女の子は、神社に行って天狗に助けを求めると、「魔物は人の心にあり」という声が聞こえてきた。
その日から毎日、神社に行って、 村の安泰を願い、手を合わせる女の子を見習う ように、多くの村人たちが、神社に行って手を合わせるようになった。
それから数日後、三日三晩、強い風が吹き荒れ、ピタリと疫病はなくなり、村里には平穏な日々が戻ってきたそうな。

2019年「長者池」

御在所岳山頂より御嶽神社へ向う途中に岩の間から清水が湧き出ている小さな池がある。
明治の中頃、山の案内人として寝泊りしていた千草村の甚太郎がこの池で炊事のとぎ汁が早く澄むのを不思議に思っていると、ある日夢枕に竜神が現れ、池の畔で不眠の行を成すと、どんな病気 でもたちどころに治してしまうという霊感を授かったという。
その後、甚太郎は巨万の富を得て、公共事業に多額の寄付をして村人に慕われたということになぞらえ、この池を「長者池」と呼ぶ様になったそうです。

2018年「五郎兵衛地蔵」

むかし、むかし、五郎兵衛という正直な百姓がおってな。
ある時お地蔵さんの前に大きな石があって、みんな困っておった。
五郎兵衛はなんとかそれをどかし、 信心深く手をあわせたそうな。
五郎兵衛さんには大事なひとり息子があったんじゃが、 その息子が、ある夏、はやり病にかかって大患いした。
案じた五郎兵衛さんは、日頃信心していた地蔵さんに 息子の按配がよくなる様、一心不乱に願かけした。
何度も手をあわせていると、不思議な声が聞こえた。
「五郎兵衛、お前は良いことをした。 誰も見ていないのに、みなのために邪魔な石をどけた。
自分のためだけではのうて、人のためにしたことが、良いことなんじゃ」
お地蔵さんが五郎兵衛さんの行いを見ていてくれたのか、 五郎兵衛さんの願いが通じ、 息子の重い病いも薄皮がはげるように次第になおり、 元通りの達者になり、 やがて嫁をもらい、家を継いでくれた。
そこで、五郎兵衛さんはいっそう信心して、 地蔵さんのそばに、雨露をしのぐだけの小屋を建て、 ここにひとり住みついて、お地蔵さんをお守りしたそうじゃ。
それから人は、この五郎兵衛さんの名を取って このお地蔵さんを、「五郎兵衛地蔵」というようになったということじゃ。
※お地蔵さんの前には、丸い手頃の石が置いてあります。 この石のことを重軽石といいますが、ここへ詣る人は願い事があると、まずお地蔵さんにお祈りをして、この石をそっと持ち上げてみて、 願いが叶うかどうかを石の重さで占います。 願いが叶う場合は、石が軽々と上へあがるそうです。

2017年「鹿の湯」

鈴鹿山脈の中の一つ、御在所岳(ございしょだけ)のふもとにある湯の山温泉は、 およそ1300年も昔にひらかれた温泉です。
ある時、きこりが、一頭の鹿が怪我した足を谷川の水につけているのを見つけました。
鹿は、「傷によくきく湯がわき出ています」と言い残して、しげみの中に消えていきました。
きこりは、その湯のわき出ているところに若い杉の木を三本、目印に植えて帰りましたが、何年かたって山で大怪我をしてしまい、ふと鹿が教えてくれた湯のことを思い出し、谷川に行って傷口を湯につけました。
不思議なことになかなか治らないと思っていた傷が一週間くらいですっかり良くなりました。
この傷によく効く湯の話は評判となり、遠くの方からたくさんの人びとが「鹿の湯」に 入りにくるようになったそうです。

2016年「菰野富士」

むかしむかし、西の近江の国にとてつもなく大きな男がいました。
国のどまん中に大きな穴を掘り、その土をモッコに入れて棒でかつぎ、せっせと遠い駿河の国まで運びました。
その土が積もり積もって富士の山になり、掘った大穴に水がたまって琵琶湖ができました。
あるとき大男が鈴鹿の山をヨイショと越えたひょうしにモッコの土がこぼれ、その土で菰野富士が出来たという話です。
※菰野富士は、標高369mの小さな山で、いかにも大男が土をこぼしたような小高い山です。
頂上付近は360度に渡って視界が開け、御在所岳を間近に見ることもできます。
菰野富士は菰野町で育った方にとっては、遠足で訪れたこともある思い出の場所の一つではないでしょうか。 山頂付近では桜の植樹も行われ、菰野町民に愛されている山の一つです。